鳴らない電話


<02.電話>

 それはきっと、つまらない意地と、下らないワガママが原因。


 三日前の夜。
 いつものように彼の電話番号を呼び出して、私は弾む心で携帯を耳に当てた。
 耳に届く、懐かしい声。
 彼は、夏休み…七月の末に帰省することになっていた。
 早く会いたい。
 顔を見たい。
 そう思い、夏が来るのを指折り数えて待っていたこの三ヶ月。
 あと数日待てば、彼に会える。電話料金を気にすることなく、直接顔を見ていくらでも話をすることが出来る。そう考えると、口元が思わず緩んでしまう。
 だから、電話越しに聞こえる彼の言葉に、私は耳を疑った。

 「ごめん、この夏はそっちに帰れそうにない」
 「え?」
 「試合があるんだ。その後は部活の強化合宿で、夏休み一杯かかるらしいんだ。」

 彼は、剣道部に入っている。
 中学のときからずっと続けているらしく、その腕前はかなりのものだ。

 「いつ?どこで?」

 訊ねる自分の声が、掠れているのが分かる。
 口の中が、やけに乾く。

 「試合は、東京。八月三日から三日間」
 「合宿は?」
 「伊豆の合宿所で、九日から二週間。その間は連絡もほとんど取れないと思うんだ、ごめんな」
 「…………」
 「早季?」

 ここで、私が言わなきゃいけない台詞は、よく分かっている。
 「いいの、気にしないで」と、笑顔で言うのだ。
 少し不満げに、でも平気な声で。
 そう分かっているのに、言葉が出ない。
 喉に何か灰色の重いものが詰まっているようだ。

 私は大丈夫だ。
 離れていても、頑張れる。
 私の世界には、彼一人しかいないわけじゃない。
 友達だって、家族だって私の周りにはちゃんといる。
 だから、大丈夫。
 私は大丈夫。

 でも。

 「…花火が見られない」

 私の口を突いて出た、先程までの会話とは何の繋がりも無い(様に見える)言葉に、彼は驚いたようだった。

 「…は?なんだって?」

 私たちの地元では、毎年八月十五日…お盆の最終日に近くの浜で花火大会がある。
 夜空に咲く色とりどりの光の花。
 身体の底にまで響く、ドーンという音。
 見上げる頬をさらりと撫でる夜風は、仄かに潮の香りを含んでいる。

 去年の花火も、彼と一緒に見た。
 正確に言えば、友達六、七人と一緒に見たのだ。
 私達が、お互いに大勢の中の一人でしかなかった一年前。
 あの頃は、自分の片思いが叶うとは思ってもいなかった。
 今年の花火は二人で見ようと言ったのに。

 「一緒に見ようって言ったじゃない」
 「…ごめん。一年の中で試合に出してもらえるの、俺一人なんだよ。試合も合宿もほっぽり出して帰ってくるわけにはいかないんだ」

 分かっている。
 彼がかえって来られないのには、ちゃんとした理由があるのだと。
 彼がどれだけ剣道が好きかも、私はよく知っているつもりだ。袴を穿いて竹刀を持ち、ただただ静かに正面を見据える彼を、私は好きになったのだから。
 彼が剣道に打ち込む姿は、とても格好良いし、大好きだ。
 でも今は、その剣道が憎い。

 「…うそつき」

 必ず帰ってくるからと、約束したのに。

 「ごめん……合宿が終わったら、一度そっちに帰るから。二、三日しかいられないけど、早季に会いに戻るから」
 「……」

 言いたいことは、沢山あった。
 私がどれだけ会いたいか。
 電話越しなどではなく、直に名前を呼んで欲しいか。
 ただ、目を合わせて微笑むだけの事が、私にとってどれだけの意味があるか。
 伝えたいのに、何も言えない。
 想いが胸を塞ぎ、言葉にならなかった。

 「早季?」
 「………」
 「早季」
 「私……」

 胸に溜まった幾つもの思いの中から、私の喉から出てきたのは、一番言ってはいけない言葉。
 あの人を、ただ困らせるだけの下らない台詞。

 「私と部活と、どっちが大切なの?」
 電話の向こうで、彼の表情が変わったのが分かった。
 「なんだよ、それ」
 「だってそうじゃない。ゴールデンウィークだって、部活だって言って結局帰って来なかった。仕方ないって我慢して、夏休みには会えるって思って、ずっと楽しみにしてたのに」

 言葉が、どんどん棘を帯びていく。
 これじゃあ、絶対喧嘩になると思っても、私の口は止まらなかった。

 「俺だって楽しみにしてたよ。だけど、仕方が無いじゃないか」
 「いつもいつもそればっかり。本当は、帰って来たくなんか無いんじゃないの?私の事なんか、どうでもいいんでしょう」

 あーあ、下らない。
 今時、昼のメロドラマでもこんな陳腐な台詞は言わないだろう。
 私はいつから、こんな下らない台詞を吐くようなツマラナイ人間になってしまったのか。

 「……分かった」

 短い沈黙の後、少しも分かっていない口調で、彼が言った。
 その声は、とても冷たい。

 「このままだと喧嘩になりそうだから、もう切るよ」

 もう既に、喧嘩になっているくせに。
 私は彼を怒らせた。
 今更どうしようもないその事実に、私は口を開くことさえ出来なかった。

 「とにかく、夏休みは実家には戻らない。……ごめんな」

 彼はそう言って、電話を切ってしまった。

 二人を繋ぐ糸が、切れた気がした。

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