ハナミズキ

<嘘の苦手な人たち(2)>

 ホームルームの時間に、数日前に受けた校内模試の結果が帰ってきた。やたらとカラフルに彩色された成績用紙を見て、聡子は満足そうに頷いた。前回よりも成績は上がっている。志望校の判定もまずまずだ。あとは英作文をもう少し頑張らなければと思いながら、聡子は自分の席に戻った。机の上に二つ折りにした成績用紙と、成績と一緒に渡された青色の封筒を置き、頬杖を突いて窓の外を眺める。

 校門の脇に並んだ銀杏は、黄金に色づいていた。風が吹くたびに、一、二枚がはらりとアスファルトの地面に落ちる。古い校舎の隙間から入ってくる空気がひんやりと聡子の頬を撫でる。この季節が聡子は好きだった。澄んだ青空。冬の厳しさを予感させる風と、夏の眩しさの名残を残す太陽。不安定で、心細くて、けれどもとても落ち着いた季節。そんな風に感じるのは、聡子が秋生まれであるせいだけではないだろう。

 「幸野」
 担任の呼び声に、通路を挟んですぐ隣の席の椅子がカタンと控えめな音を立てた。聡子は窓の外から目を離し、机と机の間を歩いていく華奢な背中を目で追った。
 瑞希が教卓の脇に立つと、担任の国語教師は神妙な顔で成績用紙を広げた。小声で何か言っているのだろう、担任が成績用紙に目をやる度に瑞希の背中が小さくなる。
 いつもの瑞希ならこんなことはないのに。聡子は首を傾げた。
 瑞希の成績は悪いほうではない。貴之のように取り立ててできるというわけではないが、地道な努力を惜しまないため、模試や実力テストには強いのだ。それが、あんなに深刻な顔で担任と話し合いをするとは、一体どういうことなのだろう。

 もしかして、と聡子が考えた時、瑞希が席に戻ってきた。椅子に深く腰掛けてふう、と溜息をつく彼女に、聡子は呼びかける。
 「何かあったの?」
 「うーん、ちょっとね」
 言いながら、疲れた顔で笑う。力のないその声に、聡子は気まずそうに目を伏せた。
 「今回は思うように行かなくて……聡子は?」
 「うん、まあ、ぼちぼち」
 何となく詳しい結果を言いにくくて曖昧な笑いで誤魔化すと、瑞希はそう、と微笑んだ。
 「良かったねぇ……それより、何それ」
 瑞希が聡子の机の方に身を乗り出してくる。彼女の視線の先には、青い封筒があった。
 「ああ、うん……」
 別に隠すほどのことではない。聡子は封筒を手に取ると、中から数冊の薄い冊子を取り出した。光沢のある紙で作られたそれは、私立大学のパンフレットだった。どれも東京にある学校ばかりだ。
 「聡子、東京に行くの?」
 瑞希が驚いた顔を聡子に向けた。
 てっきり、地元で進学すると思っていた、と言う瑞希に、聡子は無言で微笑んだ。

 三年の四月までは地元の国立大を志望していた聡子だが、夏休みが明けた頃から東京近郊の大学の資料を集め始めていた。できれば自宅から……と言っていた親への説得も着実に進みつつある。
 聡子が目指している法学部は、元々彼女が志望していた大学にも設置されていて、どうしても東京に出なければいけないというわけではない。家族の仲も悪くなく、一人暮らしに対して特に執着しているわけでもなさそうな聡子が突然上京したいと言い出したのは、ある理由があった。
 「彼氏とうまくいってるのね」
 本人がはっきりと認めているわけではないものの、聡子が社会人の男性と遠距離恋愛をしているということは周知の事実だ。瑞希はいいなあ、と微笑んだ。ふわりと柔らかなその声に顔を赤らめながら、聡子はパンフレットを封筒の中にしまう。
 「……別にそういうわけじゃないけど。家を出るのも悪くないかなと思ったのよ。東京なら、就職にも有利だし。それに」
 聡子は何気なく言葉を続けた。
 「瑞希も行くんでしょう?」

 瑞希は将来、アナウンサーになるという夢を持っている。そのために、マスメディアの中心地である東京に進学するのだと二年生の頃から言っていた。
 「と思ってたんだけどね、私は聡子の逆かな」
 苦笑いをしながらそう呟いた瑞希に、聡子の胸に苦いものが広がる。
 「ここに残るの?」
 「それも良いかなあって。ほら、ここにだって放送局はたくさんあるじゃない」
 地元の大学から地元の放送局を目指すのも悪くないんじゃないかしら。
 はっきりとした声でそう言う瑞希の声には、どこか翳りがあった。表面上はそれが良いと思っていても、心の底では納得してないというような、そんな声。空元気を振るう瑞希に、聡子は密かに眉をひそめた。もしかしたら、瑞希のこの進路選択には、彼女以外の人間の意志が入っているのではないだろうか。

 成績表の返却が終わり、担任が手短に話をする。
 センターまであと二ヶ月と少し、皆さん気を抜かずに苦手科目の克服に努めてください。寒くなってきますが、体調管理には十分気をつけるように。
 担任のゆったりとした低い声が、聡子の耳をすり抜けていく。聡子は横目で瑞希を見た。コンシーラーなどで上手く隠しているようだが、目の下にうっすらと隈が見える。

 「瑞希」
 終礼が終わるやいなや、思わず名前を口走った聡子に、瑞希は鞄に荷物を入れる手を止めた。
 「何?」
 「……何でもない。今日は塾よね。早く行こう」
 今日は、数学の授業の日だ。早めに行って課題を済ませてしまおう。
 明るい口調でそう言うと、瑞希はすまなさそうな表情になった。
 「ごめんね、私、今からちょっと用があるんだ」
 後ろめたそうな声に、聡子は溜息交じりの笑みを返した。きっと、あの男の所に行くのだろう。隠さなくたっていいのに、そんなに自分のことが煙たいのだろうか。
 「分かった、じゃあ後でね」
 小走りに教室を出て行く瑞希を見送りながら、聡子は大きく息を吐き出した。

 一つの恋愛の価値は、その持ち主にしか分からない。瑞希がどんなに憔悴していようと、彼女の恋を貶めることなど、聡子には許されていないのだ。

 「分かってはいるんだけどねえ……」
 首をかくんと後ろに倒して、聡子は天井を仰ぎ見た。
 白い漆喰の所々に浮かぶシミを見ながら、ごめん、お節介な友達で、とぽつりと呟いた。


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