ハナミズキ

<真夏の告白(2)>

 貴之が瑞希と顔見知りになったのは、二年前の体育祭の時だ。

 何が何だか分からないまま放り込まれた体育祭実行委員会で、貴之は前日と当日の放送席の設営の仕事を割り当てられた。
 放送の設営は放送部と協力して行うことになっていたため、貴之は体育祭の三日前に同じ実行委員の先輩と共に打ち合わせ用の資料を持って視聴覚室のドアを叩き、そこで幸野瑞希に会った。

 「知ってるよ。三組の榎本君でしょう」
 だって、入学式の時に前に出てたじゃない。私は八組の幸野瑞希、よろしくね。

 屈託なくそう言った彼女の笑顔を、貴之はまるで花のようだと思った。
 大輪のバラのように華やかなものではなかったけれど、それは強烈に貴之の心に焼きついた。青空の下でひっそりと、けれども無邪気に咲くハナミズキの薄桃色の花弁に似たあの日の彼女の笑顔を、貴之は二年経った今でもはっきりと思い出すことができる。

 「私、人見知りはしないの」という自己紹介の言葉の通り、一緒に仕事を始めると、彼女は本当によく喋った。期間限定の助っ人である貴之にもすぐに馴染み、楽しげに話しかけてきた。体育祭に使う予定の音楽や、前の晩に見たテレビ番組、先生の話題など矢継ぎ早に話しながらくるくると働く。
 口と同じくらい気もよく回るのか、上級生にも可愛がられているようだった。

 貴之は、あまり口数の多いほうではない。特別内気というわけではないが、自分の考えや気持ちに適切な言葉を充てるのが下手なのだ。言葉が足りないせいで誤解を招くこともしばしばで、気心の知れていない人間と話すのは正直少し苦手だった。
 だけど。貴之は考え、口の端を僅かに緩めた。
 なぜだろう、瑞希と話すのは嫌ではなかった。お喋りな女子は苦手だったはずなのに、彼女だけは別だった。高くて甘い声で楽しそうに語られる話に、気が付くと引き込まれていた。瑞希に釣られて言葉数が増えている自分にも驚いた。彼女と話していると、自分の中の言葉が、何の躊躇もなくすらすらと出てくるのだ。考えるよりも先に話すというのは、貴之にとって邪道とも思える話し方だったが、それを嫌だとは思わなかった。

 体育祭が終わると、誘われるままに放送部に入部した。元々機械を触るのは好きだったので機材の管理や操作を担当し、毎日放送室に通うようになった。昼休みや全校集会でアナウンスを担当する瑞希の側でスピーカーの音量を調整しながら、彼女の声を聞いていた。誰よりも近い場所で、誰よりも大切に思いながら、ずっと彼女を見ていたのだ。

 瑞希の事が好きだった。視聴覚室で初めて会った時から、ずっと惹かれ続けてきた。誰よりも愛しくて、誰よりも大切な女の子。
 誰よりも瑞希の近くにいたいと思った。彼女の隣にいるのが自分ならいいと、何度も何度も考えた。
 けれど、その考えを実現することはどうしてもできなかった。一度作ってしまった「友達」の壁は高すぎて、踏み越えることは容易ではなかった。瑞希の前では上手く話せると思ったのに、いざ想いを伝えようとなると言葉がつかえて出てこない。瑞希を「手に入れる」には、貴之はあまりに優しく、そして臆病だったのだ。

 自分の想いは、瑞希には迷惑なだけかもしれない。
 言えば、きっと今までの二人ではいられなくなる。
 瑞希が自分に向ける、信頼のこもった笑みを失うのが怖かった。
 大切すぎて近づけない。愛しいから触れられない。
 言いたい、言えない。近づきたい、近づけない。

 そんなジレンマを抱えたまま、四つの季節を二度ずつ過ごした。
 学年末考査が終わったら言おう。春課外の最終日に言おう。三年になったら、文化祭が終わったら、クラスマッチが終わったら、終業式が終わったら、体育祭が終わったら…………。
 勇気を出すのを先延ばしにして、その度に、見えない何かがひとりでに二人の距離を縮めてくれる事を期待した。
 そんな自分の意気地のなさを、彼は後に海よりも深く後悔することになる。


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