ハナミズキ

<真夏の告白(1)>

 六時間目の数学の授業中、瑞希が分からないと言っていた問題が出てきた。
 教壇の上では、黒縁眼鏡を掛けた教師が体半分をチョークの粉まみれにしながら黒板上で生徒達に解かせた問題の解説をしている。教師がここは大切だとばかりに声を強めるたびに、先の削れたチョークが黒板に打ちつけられてコツコツと鳴った。

 貴之のいる二組は男子クラスだ。高校自体は男女共学なのだが、男女の人数比と希望進路の関係で毎年一つは男子しかいないクラスができる。
 「男子クラスに当たる」というのは、良くも悪くも一種の宝くじのようなものだ。貴之もクラス替えの発表の時には「げっ」と思ったが、実際生活してみると男子だけの教室はなかなか気楽で楽しかった。クラスの団結力も、今までいたどのクラスよりも強い気がする。
 それに、実を言えば女子がいようといなかろうと貴之にはあまり関係のないことなのだ。
 貴之は理系で、瑞希は文系。男女混合のクラスに入ったとしても、彼女と机を並べる可能性はない。

 教室の中に女子がいないというのは気が緩むものなのか、それともこれが自分たち男子クラスの特権だと思うのか、教室の中はいつも雑然としていた。
 椅子の背もたれには一体いつ洗濯したのか分からないジャージが掛けられ、窓際のカーテンの陰にはずらりと並んだ空のペットボトル。掃除用具入れの上には、誰かがどこかから拾ってきた薬局の宣伝用の人形が鎮座ましましている。夜中に見たら、きっとかなり怖いのだろう。

 体育の後ということもあり、教室の中はいつもよりも汗臭かった。貴之は、解説をメモして明日教えてやろうと思いながら、姿勢を正して黒板を見た。この教師の解説は、簡潔で分かりやすいのだ。普段の話はとても回りくどいのだけれど。
 赤色のチョークで書かれた解説を一通りノートに書きこむと、貴之はふうと息をついて窓の外に目をやった。
 中庭に面したこの教室の窓からは、創立何十周年だかの記念に作られたのだというオブジェが見えた。「愛と勇気」がテーマだという妙な形をしたオブジェの先端には金属片が付いていて、風が吹くたびにしゃらしゃらと揺れる。
 華やいだその音色は夏の昼下がりなどに聞けば風流で良いものなのだが、試験中だろうが何だろうがお構いなしに鳴るので生徒の間での評判は賛否両論だ。そのせいか、授業中、誰もいない中庭の真ん中でぽつんと揺れる金属片はどこか申し訳なさそうに身を縮めているようだった。
 貴之は、微かに響く遠慮がちな金属音を聞きながら、瑞希はこの音が好きだと言ってたっけ……とぼんやりと思った。

 瑞希は可愛い、と貴之は思う。
 今まで誰にも言ったことはないし、これからも絶対に言わないけれど。
 校内で噂になるほどの美人ではないけれど、彼女の素朴な愛らしさは人をほっとさせるものがある。
 まるで野の花のように無邪気に微笑む彼女が、貴之はたまらなく好きだった。
 今まで誰にも言ったことはないし、これからは絶対に言えないことなのだけれど。


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