<彼女の「彼」(2)>

瑞希は、この夏休みから二つ年上の大学生と付き合っている。
地元の大学の学生で、彼女の通っている塾のチューターをしているのだと言っていた。

「なあ、どんな奴なんだ?幸野の彼氏って」
 何気ない風を装って尋ねると、聡子は貴之の方へと視線を移した。
「どうしたの?急に」
 彼女が驚くのも無理はない、貴之が瑞希の恋人の話に興味を示した事はこれまでに一度もなかったのだ。
「相手の情報集めて瑞希を奪いでもするつもり?」
「んなわけないだろ」
 からかい混じりの聡子の言葉をすぐさま否定したが、発せられた声は意図したよりもずっとむっとした響きを含んでいた。
「ふーん」
 貴之は元々隠し事が得意な性質ではないし、聡子はとても感が良い。きっと彼女には全て分かっているのだ。貴之が今何を考えているのかも、小さく膨らんだ暗幕の陰をどんな思いで見ているのかも。

 何となく決まりが悪くなって、シャーペンを握り直してノートに目を落としたとき、視界の隅の暗幕が一際大きく揺れた。
「……ごめんなさい!そんなつもりじゃ……」
 心を振絞るような悲鳴にも似た瑞希の話し声に、聡子は再び顔をしかめて憮然とした口調で短く言った。
「ヒウラトモキ。工科大の二年生」
 専門は電気工学。県外出身で、好きな食べ物はカレーライス。
 彼のプロフィールは瑞希がよく話していたせいもあり、貴之もよく知っていた。けれど、今聞きたいのはもっと別の事だ。
「いや、そうじゃなくて……」
「”良い人”よ。見かけはね」
 聡子は、空いている椅子を無造作に引くとストンと腰を下ろした。机に頬杖を突いて、開いたノートの上に投げ出された消しゴムを指ではじく。
「見かけは……って、本当は違うのか?」
「あたりまえじゃない、瑞希にあんな声出させるなんて」
 人当たりの良さそうな顔をして、胡散臭いったらありゃあしないと毒突く彼女の声には随分と熱がこもっていた。思わず口元を緩めた貴之を見て、聡子が怪訝な顔をする。
「……何よ?」
「いや……小島、変わったなあと思ってさ」
 聡子の事は同じ塾に通っていた中学三年の頃から知っているが、当時の彼女は今よりももっと近寄りがたい雰囲気を纏っていた。最初は受験のプレッシャーのせいかとも思ったが、それが元々の性格なのだと一年の時の教室で妙に納得したのを覚えている。
 高校入学後も彼女の周りにぴんと張り巡らされ続けた糸が緩み始めたのは、いつ頃からだっただろう。常に周囲と距離を置いていた彼女が他人の事で本気になって怒るとは。人間、変われば変わるものだ。

 聡子の心を軟化させたものが何なのか、貴之は知らなかった。瑞希や放送部の貢献も大きいだろうが、それだけではないはずだ。貴之の頭を、以前耳にしたある噂がよぎる。
「小島の彼氏って偉大だな」
 ぽつりとそう呟くと、別の意味に取ったのか、聡子はあからさまに嫌な顔をした。
「どういう意味よ」
「怒るってことはいるんだ」
 こうも簡単に引っ掛かるとは思わなかった。内心で笑いながら貴之が指摘すると、聡子は一瞬きょとんと目を丸くして、それからしまったという風に口を押さえた。
「本当だったんだな、あの噂」
「なっ、何よ?噂って」

 一年のある時期、聡子が歳上の男性と付き合っているらしいという噂が学年内で流れた事があった。車で登下校するのを見ただの黒い服を着た男と一緒に歩いている所を見ただのとクラスメイトが得意げに話しているのを、貴之も聞いた事がある。本人が何も言わないために誰も詳しい話を知らなかったが、今の慌てぶりから察するに噂はどうやら本当で、しかも相手との仲は健在なようだ。

「なあ、彼氏ってやっぱり社会人?」
 いつも色々とからかわれているのだ、少しくらい追及したって良いだろう。貴之が身を乗り出して尋ねると、聡子は彼からさっと目を逸らした。その頬が赤いのは、空調のせいだけではない。左手首を握り締めているのが何よりの証拠だ。
 以前瑞希に指摘されて気付いたが、彼女には動揺すると腕時計に手をやる癖がある。感情を表に出すことが少ない彼女にしては珍しい癖だと思ったが、もしかしたらあの左手首の腕時計も、彼氏からのプレゼントなのかもしれない。まあ、あまり一度に畳み掛けるのも気の毒だ、この件について触れるのはまた別の機会にしておこう。

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