大魔王からの招待状

<8.偉大なる凡人>

 普通の女。
 小島聡子に対して、一久が最初に抱いた感想だ。
 どこにでも転がっていそうな平凡な女。頭は悪くはないようだったし、それなりに可愛らしい顔をしているが、せいぜい十人並だ。人目を引く華やかな美人と接する機会も多い慎二が、あの顔に惹かれたとは思えない。高校生だというのには多少驚いたが、それだけだ。援助交際にうつつを抜かす親父じゃあるまいし、高校生という肩書きは自分にとっては何のメリットもない。多分、慎二にとっても同じだろう。
 慎二から紹介したい人いると言われたとき、どんな女性が来るのか楽しみにしていた。声が出なくなり、一時は死ぬんじゃないかというほど荒れていた慎二に喉の手術を決意させ、歌の世界に押し戻した女性。これまでどちらかというと女に対して淡白だった慎二が、夢中になっている女性。どれほど魅力に溢れた美人が出てくるだろうと期待したのに。

 部屋の中にいる制服姿の少女を見たとき、まさかと思った。その少女を「恋人」だと慎二に紹介された時、失望を通り越して怒りを覚えた。
 何でお前は、へらへら笑ってここにいる。
 何で慎二は、お前なんかを選んだんだ。
 何かの間違いだとしか思えなかった。一級品の声と顔、それに飾らない性格で、高校の頃から常に多くの人間を惹きつけてきた倉田慎二が、こんな平凡な女を選ぶとは。

 間違いは早めに正さなくてはならない、と一久は常に思っている。それがどんなに残酷でも、正しいことは正しいのだ。
 余計なことを、と慎二には恨まれるかもしれない。けれど、慎二だってそのうち目が覚めるはずなのだ。あんな、どこにでも転がっていそうな女に構うのは時間の無駄でしかないのだと。そう、いずれ分かる。いいのだ、これで。


 「一久」
 背後から突然呼びかけられて、一久は何気なく振り返った。廊下の先にいる人物を見て、しまったと密かに舌打ちをする。
 「もう終わったのか?」
 なんでもない風を装って尋ねると、視線の先の人物……慎二は、ああと頷きながらこちらへ近づいてきた。
 「ほんとに簡単な確認だけだったからな。あれ?その荷物……」
 慎二の目が一久の持っていた鞄を捕らえる。一久は、それをさり気なく体の陰に隠しながら言った。
 「お前が連れてきた子……小島さん、だっけ?もう帰るって言うから荷物を取りに来たんだよ」
 人使い荒い子だな、と苦笑して見せると、慎二は首を傾げた。
 「俺や皆に何も言わないで?」
 おかしいな、そんな子じゃないんだけど。
 そう呟く慎二に、一久は歯がゆさを感じた。蘇ってくる怒りを振り切るように、明るい調子で口を開く。
 「よろしく伝えてくれって頼まれたぜ。何でも、急用を思い出したらしい」
 「そうか、じゃあ荷物は俺が届けるよ。聡子ちゃんはどこ?」
 「良いよ、俺が持ってく」
 伸ばされた手からさり気なく逃げながら、一久は歩き出そうとした。その肩を、鞄に伸びなかった方の慎二の手が掴む。
 「待てよ」
 「何だよ」
 用があるなら早く済ませろよ、あの子が待ってるだろう。そんな様子を滲ませながら振り返ると、不審そうな顔をした慎二の顔があった。
 「もしかして、お前俺と聡子ちゃんを会わせたくない?」
 「気のせいだろう」
 「そうか……じゃあ、これは俺が持ってくよ」
 そう言って一久の手から荷物を奪い取ろうとした慎二の肩を、一久は軽く突き飛ばした。
 「お前こそ、何故そんなにあの子にこだわる?」
 苛立ちを隠しきれずに低く唸ると、慎二が何の事だというように眉根を寄せた。
 「どこにでも転がっていそうな子じゃないか。特別な才能も容姿もない……しかも、まだ高校生だ。あんなのに構ってたって、いいことなんて一つもないだろう。お前は何も分かってない」

 どうせ、良いように取り入られたんだろう。いい加減目を覚ませ。

 最後の言葉は、ドンという鈍い音に掻き消された。一久は、爪先立ちで壁に背を付けた状態で、自分を壁に押し付けている慎二の顔を見ようとした。一久の襟元を掴んで持ち上げているその顔は俯いていて、表情を伺うことができない。
 「あの子にも、同じことを言ったのか?」
 答えようとした瞬間、もう一度強く壁に押し付けられた。揺さぶられた衝撃で鞄が手から滑り落ちた。首がのけぞり、後頭部を壁にぶつける。
 「分かってないのはお前の方だよ」
 慎二は押し殺した声で言うと、床に落ちた鞄を掴み、廊下を走り去っていった。
 一人取り残された一久は、ずるずると床に座り込んだ。前のめりになってひどく咳き込む。気が付かなかったが、よほど強く襟を掴まれていたらしい。
 「くそ……」
 俺は正しいのに。決して間違ってはいないのに。
 人気のない廊下に、床に拳を打ち付ける鈍い音が響いた。


 「……遅い」
 投げ出した足を遊ばせながら、聡子はぽつりと呟いた。
 荷物を持ってくると言って部屋に戻った一久は、まだ戻ってこない。楽屋からここまで、あまり時間はかからなかったように思ったのだが、どこで油を売っているのだろう。聡子は、一刻も早くここを立ち去りたくて仕方がないというのに。
 一久が立ち去った直後には高ぶっていた気持ちは、今では落ち着きを取り戻しつつあった。もう、涙を堪えて唇を噛む必要もない。これでは、家に帰ってからも涙は一滴も出てこないかもしれない。
 「思いっきり泣きたかったのに」
 拗ねたように呟いた時、角の向こうに足音を聞いた。随分と慌しい。聡子はすっと立ち上がると、背筋を伸ばした。表情を引き締めて、これからやってくるであろう人物と対峙するのに備える。足音はみるみる大きくなり、廊下に灰色の陰が落ちた。
 聡子は、勢いよく振り返った。
 「遅かったじゃない」
 「聡子ちゃん」
 息を切らせながら目の前に立っていたのは、聡子が待っていた人物ではなかった。
 「良かった……見つけた」
 優しく響く低い声。色素の薄い茶色の瞳。先ほどもう二度と会わないと心に決めた、けれども会いたくて仕方のなかった人物を目の前にして、聡子は言葉を失った。


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