大魔王からの招待状

<6.不穏な眼差し>

 「……その時はっと目が合ったんだ。『聡子ちゃん』『慎二さん!』……俺の胸に飛び込む聡子ちゃん。それをしっかりと抱きしめる俺。精神的に参ってた俺は、それ以来、聡子ちゃんに誰にも言えないつらーーーーーーーーい胸の内を聞いてもらったってわけ」
 慎二が語る二人の馴れ初めは、当事者である聡子もびっくりするほどの美談になっていた。そもそも、『慎二さん』なんて、いつ誰がどこで言ったのか。何度か口を挟もうとした聡子は、その度に慎二の密かな妨害に遭っていた。息を吸い込んだ瞬間に首の後ろを撫でられる、耳をくすぐられる。しまいには鼻を摘まれて、聡子はぐったりとうなだれた。もう運命の出会いでも何でもいい、好きに言ってくれ。

 自分で自分の話に酔ってしまったかのように、うっとりと話す慎二。彼の講釈が一通り終わった所で、瑛太が椅子の上で足を組み変えながら尋ねた。
 「で、そもそものきっかけは?」
 「俺が聡子ちゃんの定期を拾ったこと」
 「やっぱりナンパじゃん」
 「だあああああああっ!!」
 的確かつ容赦のない武人の指摘に、慎二はその場に崩れ落ちた。お前は一体俺の話の何を聞いていたんだと泣きまねをする彼を、陽太が目を潤ませて擁護する。
 「武、それを言うなよ。せっかくの純愛が台無しだ!」

 ……この人たちって……もしかして……。
 目の前で繰り広げられるやり取りは、とても二十四歳の大人のものだとは思えない。
 けれど、子どものように唾を飛ばしながら怒鳴る慎二は、何だかとても楽しそうに見えた。きっと、仲間を信頼しきっているのだろう。
 まるで……

 「慎」
 聡子の心の呟きを掻き消すかのように、背後のドアが突然開いた。

 「慎いるか?」
 一本調子の声に振り向くと、そこには長身の男性が立っていた。長めに伸ばした髪を、うなじのところで無造作に縛っている。
 「あ、一久」
 床に屈みこんだ慎二が、気の抜けた声を上げた。

 足元から聞こえてきた声に、男性……一久は、慎二と彼の隣にいる聡子を無感動に見下ろした。その視線にひやりとするものを感じて、聡子は慌てて慎二から一歩遠ざかる。姿勢を正す聡子には目もくれずに、一久は起き上がる慎二に手を差し伸べた。
 「マネージャが探してる。来週の取材の確認だそうだ」
 一久が口にした雑誌の名前は、聡子も聞いた事のあるものだった。確か、男性のファッション誌だったはずだ。兄が読んでいるのを見たことがある。
 「今行くよ、ありがとう。……あ、なあなあ一久」
 慎二は乱れたシャツの裾を数回はたくと、聡子の後ろに回りこんだ。彼女の首の両側から腕を差し入れ、軽く抱きしめる。
 「小島聡子ちゃん。この前話した俺の恩人」
 ちょっと前から付き合っているんだという、嬉しそうな慎二の声に、一久の双眸がつうっと細められた……ように聡子には感じられた。鋭い視線に射抜かれると目を閉じた瞬間、穏やかな声が聞こえてきた。

 「ああ、この子が例の……俺は尾上一久。よろしく、聡子ちゃん」
 目を開けると、一久が先ほどとは打って変わって穏やかな笑みを浮かべていた。先ほど見た表情は気のせいだったのだろうか。何が何だかよく分からないまま、聡子は目の前の人物に会釈した。
 「……こちらこそ、よろしくお願いします」
 慎二はそんな聡子の様子を、目を細めて見ていた。彼女が頭を上げると、よく出来ましたと言うように頭のてっぺんを二,三度優しく叩く。
 「さてと。対面も済んだことだし、ちょっと行ってくるよ。すぐ戻ってくるから、それまでこいつらと話してて」
 仲間全員に聡子を紹介し終わって満足したのだろう、慎二は聡子を抱きこんでいた腕をほどくと、ドアの方へ向かった。
 「じゃあ、聡子ちゃんのこと、頼んだよ」
 「えっ……ちょっ、山田!」

 私、もう帰るという聡子の言葉は、ドアの閉まる音に遮られてしまった。初対面の人間ばかりの中に残された聡子は、途端に心細い気持ちに襲われる。
 元々人見知りの気のある聡子にとって、先ほど会ったばかりの四人と談笑して時間を過ごすというのは、生易しいことではない。
 (話すったって……何話せばいいのよ)

 拷問に近い状況に途方に暮れかけたとき、頭上で低い声がした。
 「聡子ちゃんは、二年前に慎と知り合ったんだっけ?」
 「あ……はい」
 声のする方向を見ると、一久が近くにあったスツールに腰掛けているところだった。
「聡子ちゃんもこっち来て座りなよ」
 手招きをする武人の言葉に甘えて、聡子はローテーブル脇のソファの隅に腰を下ろした。遠慮がちに膝を揃える聡子に、陽太が尋ねる。
 「なあなあ、さっきの話ってどこまでホント?」
 「どこまで……って」
 まさかほぼ百パーセント嘘ですなんて言えない。視線を彷徨わせる聡子を気遣うように、瑛太が笑い混じりに言った。
 「あー、あいつの事なら気にしなくて良いよ。どうせ嘘なんだって分かってるから」
 こういうみえみえのホラ吹くの好きだからなーと笑う瑛太達の言葉に、聡子は二年前の慎二の行動を思い出して密かに納得した。あの嘘か本当か分からない作り話の技術は、一朝一夕で見に付けられたものではなかったのだ。

 「声が出なかった時の慎、本当に荒れてたよな」
 聡子の隣でソファの肘掛に頬杖を突いた武人が、しみじみとした口調で言った。
「そうそう、誰がどれだけ説得しても手術は受けないの一点張りで」
 自分の殻に篭っていく一方だった慎が、聡子ちゃんの説得は聞いたんだな、と一久が呟く。
「俺たちからも礼を言うよ、聡子ちゃんありがとう」
 まるで救世主のような言われぶりに、聡子は焦って両手を顔の前で振った。特に何をしたという覚えもないのに、こんなに感謝されるというのはどうにも居心地が悪い。

 「いや、こちらこそ山田にはお世話に……」
 早口でそう言った聡子の顔を見て、四人が奇妙な顔をした。
 「『山田』?」
 「そういえば、さっきからずっと慎のこと山田って呼んでるよね」
 何で?と首を傾げる陽太に、聡子はしまったと肩を竦めた。出会った頃の呼び方が抜けず慎二も特に何も言わなかったため、再会してからもずっと「山田」で通してきたのだが、彼らにとっては何が何だか分からないだろう。
 「すみません、つい癖で……」

 聡子は慎二ほど作り話の才能があるわけではない。ここでごまかして墓穴を掘るよりは良いだろうと、再会するまで彼の本名を知らなかったのだ、と素直に告白した。
 「ってことは、俺たちのことも知らなかったの?全然?」
 「はあ……、活動再開されてからはずっと聴いていますけど」
 世間知らずでスミマセンと決まり悪そうに言う聡子に、瑛太たちは一瞬驚いた顔をしたがすぐに大声で笑い出した。
 「って事は、ずっとあいつの正体に気付かなかったんだ……。慎、ガックリしたろうなあ〜。アレでなかなかプライド高いから」
 「だよなー。ぜひとも見たかったよ。でも俺、慎が聡子ちゃんに本名言わなかった気持ち分かる気がする……あー腹痛え」
 「聡子ちゃんも驚いただろ。ただのほら吹きと思ってたのが、すました顔して歌ってるんだから」

 慎はいい子と知り合ったんだなあ、気に入ったよ。
 そんな賞賛の声と共に、瑛太たちは次々と自分の連絡先を書いた紙を聡子の手の中に押し込んだ。
 「俺たち、慎とは高校の頃からの付き合いだからさ。何かあったら相談に乗るよ」
 なかなか周りの人間には言えないだろうから、と陽太が笑いかける。
 人の良さそうなその顔に釣られるように、聡子も微笑んだ。年齢・容姿・社会的地位などどれをとっても慎二には遠く及ばない自分が、彼の仲間に受け入れられるかどうか不安だったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。皆、こだわりなく聡子に話しかけてくれる。良かった、と聡子は胸をなでおろした。

 「慎の昔の恥ずかしーーーい話も色々知ってるしな。あー暴露してえ!!実はあいつは……」
 武人が声を落として話し始めたとき、カタンと音を立てて一久が立ち上がった。
 「飲み物買ってくるよ。みんな、何がいい?」
 コーラ、お茶……と声が飛び交う中、聡子は慌てて鞄から財布を探り出した。
 「私も行きます」
 ソファから立ち上がって駆け寄ると、一久はありがとうと笑った。
 「助かるよ、さすがに六人分は持てないからな。」
 自販機は、廊下を出て少し歩いた所にある談話スペースに設置されているらしい。聡子は一久の後に着いてドアを出ると、彼の隣に並んで廊下を歩き出した。
 「財布なんか、持ってこなくて良かったのに」
 「そんな……、申し訳ないです」
 自分の分は自分で出すと財布を固く握りながら歩く聡子を、一久は苦笑交じりに見下ろした。
 「律儀だなあ。でも、今回は俺に奢らせてよ。ここで君に出させたら、後で俺が慎に怒られる」

 そんなことを話しながら突き当たりにまで行き着くと、角を曲がった先に自販機の明るい光が見えた。
 一久が千円札を自販機に入れ、注文ボタンを次々と押していく。聡子は取り出し口の前に屈むと、出てきた商品を取り出した。
 「ところでさ」
 ダイエットコーラのボタンを押しながら、一久が何気ない調子で言った。
 「さっきの、全部嘘だろう」
 ガタンと音が鳴って取り出し口にコーラが落ちてくる。取り出そうと手を伸ばした聡子は、一久の言葉にぴくりと顔を上げた。
 「え……?」
 どの話だと問うよりも早く、一久は自販機に片手を突くと、腰を屈めて聡子の顔を覗き込んだ。
 「慎の呼び名の話だよ。本当は知っていたんだろう?」
 「なっ……」
 人気の談話スペース。搬入業者やスタッフの声が遠く響く。蛍光灯の明かりを背に一久はゆっくりと口を開いた。強い光の影で覆われたその顔は、もう笑ってはいない。
 「あんた、どうやって慎に取り入った?」
 浴びせられた冷たい声に、聡子はその場に凍りついた。手の中のペットボトルから垂れた水滴が一滴、床に落ちた。


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