大魔王からの招待状

<3.人待ち時の憂鬱>

 二時間半のライブが終わると、聡子は食事でもして帰ろうという瑞希の誘いを断って、一人会場に戻った。事前に男から指示された位置に立つと、壁に背を預けて目の前を流れていく人の群れをぼんやりと眺める。どの顔も、ライブの余韻のせいだろうか、紅潮しているようだった。興奮気味に曲名やメンバーの名前を口にする声もあちらこちらから聞こえてくる。開演前にも大勢の人が並んでいた特設の売店は、記念グッズを買い求める人々でごった返していた。

 ホール内に薄く灯っていたオレンジ色の照明が突然消えた時の衝撃を、聡子はこの先ずっと忘れることができないだろう。
 客席全体が闇に落ちた瞬間、それまで暗くがらんとしていた舞台に白い光が溢れた。眩しさに一瞬目を閉じ、光を追うように落ちてきた爆音に再び目を開くと、そこには別世界があった。
 強い光の中で堂々と楽器を奏でる男性たち。仲間の姿を見回し、重なり合う音たちを吸い込むように深呼吸をしているのは、聡子のよく知っている男だった。男は何かを確認するように頷くと、スタンドマイクに手を掛けた。ただ真っ直ぐに前を見て歌うその姿は余りに力強く美しく、つい十分前に電話で話をしたのと同じ人物だとは俄かには信じられなかった。
 正確に、テンポ良く奏でられるギターやドラム、キーボードの音と、深みのある歌声で、男とその仲間たちはたちまち観客を熱狂の渦に叩き込んだ。
 周りの観客の熱気と会場を揺るがす音に半分ぼうっとなりながら見上げた男の顔は、これまでに見たどんな時よりも生き生きとしていた。やはり、舞台の上が男の本来の居場所なのだ。

 聡子は鞄を床の上に置くと、A3の大きさの冊子を取り出した。開演までの待ち時間を利用して買った今日のライブのパンフレットだ。
 がらんとした校庭の写真が印刷された表紙をめくると、表紙と同じ校庭を背に佇む五人組の姿が目に飛び込んできた。自然と、中央で笑っている人物に視線が吸い寄せられる。
 仲間とふざけておどけたポーズをとったかと思えば、真剣な表情で遠くを見つめ、更にページをめくれば満面の笑みを浮かべている。
 知っている人の顔。大切な人の大好きな笑顔。
 なのに。
 「何でだろ……」
 会場に来る途中の路上でポスターを見て以来消えない違和感を抱えたまま、聡子はパンフレットの中の男の笑顔を見つめた。
 輝くような笑顔に小さく溜息をついたとき、頭の上に僅かな重さと温もりを感じた。
「溜息なんかついちゃって。俺ってそんなに良い男?」
 見上げると、先ほどまでスポットライトの下で歌っていた人物と目が合った。人目を避けるためだろうか、暗い色のスタッフジャンパーを着ている。
「お待たせ」
 男……倉田慎二は、目深に被ったキャップの下でにっこりと笑った。手元に開いたパンフレットの写真と同じ顔。
「気付かれないうちに早く行こう。さあ、こっち」
 相変わらず重いなあ、と床に置いた鞄を持ち上げる男に促されるまま、聡子は楽屋へと続く階段に足を掛けた。

 仲間に会ってもらいたいんだ、と、慌しく人の行き交う通路を歩きながら慎二は言った。
「手術を受けることにした理由を、最近仲間に話したんだ。女の子に説得されたって。そうしたら、どんな子か見たい会わせろってうるさくてさあ」
 俺が聡子ちゃんを見せびらかしたいというのもあるんだけど、と大きな手に肩を引き寄せられて、聡子は身を固くした。
「あ、聡子ちゃん赤くなってる」
「うるさい!!」
「倉田さん」
 突然背後から掛けられた声に、聡子は慌てて慎二から身を離した。通路の壁にぴたりと寄り添うようにして立ち止まる聡子の隣で、慎二は声の主と和やかに挨拶を交わしている。
「川田さん、今日はお疲れ様でした」
「いやいや、こちらこそ。相変わらず良いステージでしたよ。もう、完全復活ですね」
 川田と呼ばれた、夏物の背広に身を包んだ男性が聡子の方をちらりと見た。
「こちらのお嬢さんは?」
「親戚の子です。昔、近くに住んでた事があって今でも仲が良いんですよ」
 今までコンサートに行ったことないって言ったから、招待したんです。
 慎二は、淀みのない口調でそう言った。さも本当の事を言うように。
「バックステージツアー付きとは豪華ですねえ。お嬢さん、人生初のコンサートはどうでした?」
 突然振られた質問に、聡子は微笑んだ。慎二を慕う親戚の女の子の顔で、背筋を伸ばして礼儀正しくお辞儀をする。
「ありがとうございます、とても楽しかったです」
「ははっ、そりゃあ良かった……では、私はこれで」
 立ち去る男性に一礼すると、慎二は再び聡子の肩に手を回して歩き出した。
「ごめんね、聡子ちゃん」
 メンバー以外には、親戚の子が来るということにしているのだと申し訳なさそうに言う慎二に、聡子はいいのと笑顔を作った。
「ばれたら大変なのは、私も同じだもの」
 そう、分かっている。聡子だって、慎二のことを誰にも言っていないのだから。
 仕方のないことなのだと、聡子は勢いよく頭を振った。
 心につかえた「親戚の子」という言葉が、カラカラと鳴った気がした。


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