大魔王からの招待状

<2.秘密のふたり>

 チケットは二枚あったので、瑞希を誘って行くことにした。男の所属するバンドを「割と好き」だという瑞希は、聡子の誘いに「絶対行く!」と大喜びで頷いた。
 開演日時は土曜の午後六時半。その日は課外授業と部活があったので、聡子と瑞希は制服姿のままで学校から直接会場に向かった。

 「それにしても・・・」
 海の方へと続く大通りを歩きながら瑞希が言った。
 「聡子、よく取れたね。このライブのチケット、即日完売だったんだって?」
 しかもこんなに良い席、お金払わなくて本当に良いの?と気遣わしげに首を傾げる瑞希に、聡子はいいの、と笑って手を振った。
 送られてきたチケットは最前列の中央の座席のものだった。学校の観劇会でだってこんなに良い席で見たことがない。聡子もよくもまあ取れたものだと驚いたが、送り主はライブの主催者側の人間だ、チケットを容易に手に入れられるだけのつてを沢山持っているのかもしれない。
 「私ももらったものだから。お兄ちゃんの友達が直前に行けなくなったんだって。誰も都合がつかなくて、私のところに回ってきたの」

 聡子の言葉に、瑞希は意味ありげな表情を浮かべて聡子の顔を覗き込んだ。
 「でも、良かったの?私を誘っちゃって」
 彼氏と一緒に行かないの?と、瑞希は首を右にちょんと傾けた。緩くウエーブのかかった色素の薄い髪が、白いブラウスの上でふわりと揺れる。いかにも『女の子』という仕草は歳よりも幼く見える瑞希の容姿によく合っていて、聡子は思わず本当の事を口走りそうになった。
 「いいの、あの人は……」

 ライブで歌う方だから。という言葉が滑り落ちる前に、聡子は慌てて口をつぐんだ。危ない危ない、私としたことがうっかりとんでもない事を言うところだった。
 今から行くライブの出演者と自分が顔見知りだということを、聡子は誰にも言っていない。もちろん、一番の友人である瑞希にもだ。
 中身はどうであれ、「山田次郎」……もとい、倉田慎二は有名人だ。活動再開と共に勢いに乗った彼の歌声はラジオや有線放送でひっきりなしに流れ、今や町中にあふれている。
 そんな全国的に有名な声の持ち主と単なる顔見知り以上の関係にありますと声高に言う勇気は、聡子にはなかった。地方の(地味な)女子高生と人気ボーカリストのカップルなんて、マスコミの格好の餌食になるに決まっている。男にだって迷惑がかかるだろう。何より、自分の不用意な一言にテレビカメラや新聞記者が殺到するなんて、考えただけでも恐ろしい。平穏な生活を守るためには、男のことは誰にも口外しないに限るのだ。

 「……あの人は、予定が合わなかったのよ」
 今日の聡子のスケジュールはライブ鑑賞。男のスケジュールはライブ出演。二人の予定は同じ場所で行われるとはいえ、内容は決して同じではないのだから、嘘をついていることにはならないだろう。
 そっけない風を装って言うと、瑞希は再度首を傾げた。
「それってお仕事?」
「うーん、まあ、そんなとこ」
 確かに、仕事には間違いない。
 こくこくと首を縦に振る聡子に、瑞希はふうん、と頷いた。
 「大変ねえ、社会人って」
 瑞希はそう言うと、くるりと体を前に向き直らせた。それきりその話題には触れずに、何の曲を歌うんだろうだとか、パンフレットは買うべきかだとか話しながら会場への道を鞄を揺らして歩く。
 意図的にせよそうではないにせよ、瑞希がそれ以上深く追求せずに話題を変えてくれたことに感謝しながら、聡子は肩に掛けた鞄を持ち直した。


 リハーサルも最終の打ち合わせも滞りなく終わり、開演十分前まで解散ということになった。
 倉田慎二は仲間と共に楽屋に戻ると、化粧台の周りにずらりと並べられた椅子の一つを引いた。腰を落ち着けるなりローテーブルの上のペットボトルに手を伸ばす彼に、早くも碁板を広げていた武人が声を掛ける。
 「おい慎、良いのか?そんなに飲んで」
 慎二が異様に水はけのよい体質だということは、バンド内では有名なことだ。
 同じく碁板に向かっていた陽平が碁石を片手に「ライブ中に便所に行くなよ」と言うと、慎二は笑いながら手に持ったボトルのキャップを開けた。
 「汗で出すから大丈夫だって。飲まないでいてまた歌えなくなる方が怖い」

 以前彼を悩ませた喉のポリープには、ストレスや疲労だけではなく、喉に水分が足りていなかったことも関係しているらしかった。医者から水分摂取の必要性を説かれて以来、慎二は暇さえあれば水を飲むよう心がけている。
 お陰でトイレが近くて仕方がないのだが、これは我慢するしかないだろう。せっかく取り戻した声なのだ、大事にしなくては申し訳ない。自分自身にも、仲間にも。何より、水分不足なんて下らない理由で再び歌えなくなっては、あの子に顔向けできない。

 まるで挑みかかるような真っ直ぐな眼差しと揺るぎない言葉で、彼女は慎二を生の世界に引き止めた。僅かに残った希望を永遠に失う恐怖に苛まれて動けなくなっていた彼の背中を押してくれたのも彼女だ。細い腕から伝わる力はほんの小さなものだったのに、それは慎二自身でさえ驚くほどあっさりと失われかけた夢を取り戻させてくれた。
 今の自分があるのは、彼女のお陰だ。

 慎二はお茶で喉を湿らせながら、脇に置かれた鞄に目をやった。途端にあることを思い付き、彼はにやりと笑ってペットボトルを台の上に置いた。鞄の中から携帯電話を取り出すと、素早く立ち上がってドアの方へ向かう。
 どうした?と問う仲間の声に慎二は「トイレ」と短く答えた。
「すまん、飲みすぎた」
 眉根を寄せて深刻そうな顔をして見せると、そら見たことかと声が上がる。
「早く行ってこい。絞り出してこいよ」
 瑛太の笑い混じりの言葉に慎二はああと頷くと、ドアのノブに手を掛けた。


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