遅れてきた大魔王

<番外編 甘くない贈り物 (1)>

 昼食のパンを買いに立ち寄ったコンビニの一角で、聡子はふと立ち止まった。
 レジからほど近い場所に設けられた、シーズン用品のコーナー。
 少し前までは使い捨てカイロやカップ麺などが並べられていたその場所を、今は色とりどりの小さな包みが占めている。無機質で雑多な感じのする店内で、チョコレートが並べられたその棚だけが妙に華やいでいて、聡子は思わず微笑んだ。

 世の中の流行やイベントに疎い聡子でも、今日が何の日かは知っている。
 一年前のあの出来事以来、恋愛沙汰にはまるで縁のない聡子も、今年は友人の瑞希と一緒にチョコレート作りに精を出した。学年末テストの中休みだった一昨日の日曜日、二人で瑞希の家の台所に篭って大量のチョコレートと小麦粉、バターと格闘したのだ。出来上がったチョコレートマフィンは一つずつセロハンの袋で包装し、まとめて紙袋に入れてある。折しも今日はテスト最終日、先週からずっと休みだった部活も今日から活動開始だ。チョコレート交換で盛り上がるには丁度いい。
 今日のテスト終了後から、クラスの友達と部活の仲間、顔を合わせた人に手当たり次第渡していくというのが、瑞希と考えた「作戦」だった。貴重な試験勉強の時間を削って作ったチョコレートだ、楽しまなくては意味がない。

 聡子と同じ制服に身を包んだ男女の二人連れが店の奥でおにぎりを選んでいるのが見えた。どちらの後ろ姿にも見覚えがないので、きっと他学年の生徒だろう。自分の彼女が手に下げている紙袋から綺麗な色の包み紙が覗いていることに、あの男子生徒は気付いているのだろうか。
 聡子は、マフィンの包みが詰まった自分の紙袋に視線を落とした。友達同士でチョコレート交換とは花も恥らう十七歳のバレンタインの過ごし方としてはやや色気に欠ける気がしたが、あまり深く考えない事にした。恋なんて、しようと思ってするもんじゃない。

 「更に美味しくなった」と印刷されたメロンパンの袋とペットボトルの紅茶を持ってレジの前に立つと、夜勤明けらしい店員が眠たそうな声でいらっしゃいませと言った。ひょろりと背の高いその店員が緩慢な動作で品物をバーコードに通していく。
 財布を取り出そうと鞄をふと視線を横にやると、レジ前の棚にガムやのど飴の小さな包みが並んでいた。蜂蜜レモン味ののど飴の黄色い包みに、自然と目が吸い寄せられる。もう何度思い出したか分からない、一人の男の顔を思い出した。

 片手でハンドルを操りながら包みを開ける細い指。

   『食べる?』
   『いらない』

 何度断っても、不機嫌そうな顔をしても、男は決まって包みを聡子に差し出した。少し掠れた低い声で、まるで歌うように聡子の名前を呼んだ。

 一年前に比べていくらかぼやけてしまったが今なお鮮やかなその笑顔に、胸の奥がかすかに痛んだ。それはいつも、心の中の柔らかい部分をほんの少しだけ撫でて通り過ぎる。
 聡子は溜息混じりに微笑むと、のど飴の包みに手を伸ばした。

「すみません、これもください」


 一夜漬けで臨んだ家庭科のテストは思いのほか出来が良かった。皆に配ったマフィンの評判も上々で、聡子は瑞希と共に足取りも軽くバス停へと続く道を歩いていた。久しぶりの部活で思いのほか長く話し込んでしまい、辺りはもう薄暗い。
 歩道橋の上で、聡子は足を止めた。眼下に伸びる道路には、自動車のテールランプとヘッドライトが一列ずつ並んでいて、頭上に広がる空よりも明るい。

 聡子は鞄の中から今朝コンビニで買ったのど飴を取り出した。封はまだ開けていないそれを弁当を入れていた巾着袋の中に入れると、袋の紐を歩道橋の柵に結びつけた。

 恋は、しようと思ってするものじゃない。
 やめようと思ってやめられるものでもない。

 突然現れて勝手に付きまとって突然いなくなって。まるで嵐か何かのように過ぎ去ったあの男の面影は、これからも当分聡子の心に居座るのだろう。腹立たしいけれど、嫌ではなかった。

 ポケットの中に入れたガラス球を、コートの上からそっと撫でた。どこか遠くにいるだろう男に、思いだけでも届くように。不意に男の声が聞こえた気がして、空を仰いだ。ひょっとしたらこの空の向こうで聡子を見ていて、らしくない事を、と笑っているかもしれない。何と言っても、相手は天下無敵の『恐怖の大魔王』なのだ。

「聡子、どうしたの?バス来ちゃうよ」
「あ、うん。今行く」

 ビルの向こうには一番星が輝いていた。聡子は冷たく瞬く星に微笑むと、先を歩く瑞希に追いつくべく駆けだした。
 誰もいなくなった歩道橋の上で、冷たい風に吹かれた巾着袋が夕闇の中で揺れていた。



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