大魔王からの招待状

<おまけ.山田の苦悩>


 四ヶ月ぶりのキスは、それはそれは息苦しいものだった。目を閉じたときには、今まで通り軽く唇を触れ合わるだけなのだろうと思っていたのが、いつまでたっても慎二が離れていく気配がない。疑問に思った聡子は、薄く目を開けて慎二の顔を窺った。
 丁度そのとき、聡子が目を開けるのを待っていたかのように慎二がぱちりと目を開いた。薄目を開けた聡子と視線を合わせるとにやりと笑う。
 (あーっ!あーっ!あーーーーーっっっ!!!)
 心の中で大絶叫し、あわてて身を離そうとする聡子を慎二は逃がしてくれはしなかった。首の後ろに手を入れて聡子の頭を逃げられないように固定すると、先ほどよりも深く唇を重ねてくる。口の中に入ってきたぬるりとしたものが何なのか気づいたとき、聡子は硬直した。
 (@○×△♯θ!!!)
 さすがの聡子も、この状況で冷静でいられるほど強靭な精神は持ち合わせていない。それはまるで、ハリウッド映画に出てくるようなキスだった。あれはアメリカ人がやるものだと思っていたのに、まさか自分が、しかも同じ日本人とする羽目になろうとは。
 混乱極まるといった様子の聡子の反応を楽しむように、慎二はなおも彼女に口付ける。逃げる聡子の唇を捕らえては、甘く噛んだり口の中を掻き回したりと容赦がない。次から次へと振ってくる熱に、だんだん頭が回らなくなってくる。目の前にいる慎二を意識する以外何も考えられないのは、酸素が足りていないからだろうか。

 やっと開放されたとき、聡子はすっかり息が上がっていた。肩を上下させて何度も深呼吸する彼女を見下ろして、慎二がにやりと笑った。
 「もしかして、息止めてたの?」
 「あの状況でどうやって息しろって言うのよ!てか、何で舌なんか入れるのよ!」
 最低!と罵らんばかりの勢いの聡子の肩に、慎二の手が置かれた。まあまあ、と宥めるように抱き寄せられる。
 「気にしない気にしない、ああいうもんだから」
 初めてだった?と問う声から逃げるように、聡子は自分の顔を慎二の胸に押し付けた。
 「……分かってるくせに」
 「可愛いなあ。聡子ちゃん、最高」
 慎二はすっかり上機嫌だ。鼻歌を歌っているあたり、確信犯だったのだろう。目を合わせるのが悔しくて慎二の腕の中でじっとしていると、頭上から声が降ってきた。
 「で、これからどこ行こうか」
 思いがけない言葉に思わず顔を上げると、にっこりと笑った慎二と目が合った。
 「久しぶりに会ったんだ、デートしよう」

 暗がりでもそうと分かるほど赤くなった聡子に最低!とばかりに睨まれて、慎二は苦笑した。
久しぶりに触れた聡子の唇は、とても柔らかくて温かかった。そろそろと目を開ける様子や抱き寄せた時の反応が新鮮で、ついついやりすぎてしまったと反省する。初めはちょっとからかうだけのつもりだったのに、面白いほど反応する聡子に、つい自制が利かなくなってしまった。何でも人並み以上にこなすのに、色恋沙汰にはとんと疎い目の前の少女は、逃げれば逃げるほど相手を刺激するだけだということを知らないらしい。
「初めてだった?」
宥めるように抱き寄せ、からかい混じりに問いかけると、腕の中の聡子は一層身を小さくして慎二の胸に頭を押し付けてきた。
「当たり前じゃない」
小さな小さな呟きを慎二は聞き逃さなかった。すねた響きのくぐもった声が愛しくて、思わず口元が緩んでしまう。
「可愛いなあ。聡子ちゃん、最高」
こんなに可愛いのに、自分に自信がないなんて。慎二は先ほどの聡子の涙を思い出した。彼女は断じて違うと否定するだろうが、要するに、やきもちを焼いてくれたということなのだろう。本人があれだけ悩んでいたようなのだから、こんなことを思うのは不謹慎な気もするが鼻歌でも歌いたい気分だと、慎二は思った。普段は電話をしてもそっけなく、ともすれば迷惑そうに慎二をあしらうこともある聡子が、やきもちを焼いてくれたのだ。これは喜ぶべきだろう。
これはもしかしたら……。

淡い期待に胸を躍らせながら、慎二は口を開いた。
「で、これからどこ行こうか」
聡子が驚いたようにぱっと顔を上げた。彼女にとっては予想外の言葉だったらしい。あまりに素直な彼女の反応に、慎二はますます笑みを深くするとデートしよう、と言った。
「車を借りてあるんだ、どこにでも行けるよ。どこが良い?」
以前行った海浜公園に夜景を見に行こうか、どこかで食事をするのも良いね。聡子ちゃん、良い店を知ってたら教えてよ。
次々と出された提案を吟味するように考え込んだ聡子の髪を、慎二は優しく指ですくった。無邪気な笑顔は崩さずに、本命の提案をさらりと口にする。
「それとも……俺の部屋に来る?」

言った瞬間、聡子の肩がぴくりと震えた。戸惑うようなその瞳は、小動物のそれのようだ。そんな目をされると、ますます捕まえたくてたまらなくなってしまう。
「……打ち上げとか明日の打ち合わせとか、あるんでしょう」
邪魔するわけにはいかない、という彼女の言葉は、全く慎二の想定の範囲内のものだった。現実的で良識のある聡子らしい。
「大丈夫、大方の確認はもう終わってるんだ。あとは明日。打ち上げは、あとの四人が何とかしてくれるさ」
慎二はそう言うと、聡子の頬に手を伸ばした。すべすべとした感触を楽しむように顎のラインをなぞった後、親指で唇に触れる。
「ねえ、聡子ちゃん」
最後の一押しとばかりに、慎二は聡子と目線を合わせて囁いた。とびきり甘く熱っぽい声。この声に聡子が滅法弱いことを信二はよく知っていた。
「山田……」
聡子が口を開く。熱に浮かされたようなかすれた声に、慎二は心の中で会心の笑みを浮かべた。これはいける。絶対にいける。
しかし、次の瞬間、彼女の口から出てきた言葉に、慎二は耳を疑った。
「……ラーメン」
「は?」
「ラーメン食べに行こう」

今度は慎二が混乱する番だった。一時的なものではあったが別れる別れないの危機を乗り切ったあとだというのに。あれだけいい雰囲気になっておきながら、なぜラーメンなのだ。
慎二の戸惑いを感じ取ったのだろうか、聡子があわてて手を振った。
「あ、とんこつが苦手だったら他のものでもいいんだけど。でも、せっかくこっちに来たんだし、名物を食べてもらいたいなあと思って。何も、ここまで来て焼肉食べなくていいと思うのよ、私は」
 焼きラーメンなど言語道断だと主張する聡子を前に、慎二はがっくりと肩を落とした。

 (普段は勘がいいのに、どうして肝心なところで鈍いかなあ……。いや、そこが聡子ちゃんの可愛いところなんだけど)
 今なら、お預けを食らった犬の気持ちが良く分かる。今度帰省したときには、パブロフにお預けなんて意地の悪いことを言うのはやめよう。食べたいものを食べたいだけ食べさせてやるのだ。例え、奴が肥満に苦しもうとも。

 「……山田?やっぱり嫌だった?」
心配そうにこちらを見る聡子に、慎二は力なく笑い返した。
「いや、全然。とんこつ、俺も好きなんだ。聡子ちゃん、この時間までやってるおいしい店知ってる?」
「そうねえ……」
 眉根をわずかに寄せて考える聡子はやっぱり可愛い。悔しいけれど完敗だ。

 これからも会うたびに繰り返すだろう彼女への必死のアプローチに聡子が気づいてくれるまで、自分は待ってしまうのだろう。陽平たちが言ったように年齢上の問題ならば先が見えるが、この我慢比べには終わりがない。ひたすらずっと、我慢の子なのだ。
店が決まったらしくこちらを向いた聡子と目が合い、慎二は微笑んだ。
 辛い戦いになりそうだが仕方がない、何せ自分はもう彼女を手放せなくなっているのだから。
 惚れた弱みだ、と慎二は心の中で呟いた。




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