日と月で明るい。
ウと子で字。
十が二つと日と月で朝。
では、イとソとウと口と貝は?
「あーーーっ!分からん!」
聡子は投げやりにそう叫ぶと、持っていた携帯ゲーム機を閉じた。ソファの背もたれに頭を乗せて天井を仰ぐと、隣で雑誌を読んでいた慎二が何があったのかと顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?ゲーム?」
「そう」
山田も知っているでしょう、と言いながら、聡子は手の中にある空色の機械を開いてみせた。
「この前実家に帰った時に、お兄ちゃんがしばらくやらないからって貸してくれたの。面白いんだけど……」
聡子は付属のペンで画面に軽く触れながら、できないといらいらするのよね、と顔をしかめた。
画面に表示された「脳年齢」は四十七歳。自分の母親の実年齢とほぼ同じ歳だ。自分の脳年齢を調べたり、脳の働きを鍛えることのできるゲームに、聡子は最近夢中になっていた。
画面に出たものを記憶する類のゲームや、漢字の書き取りは得意だが、つり銭や順位を数えたり、暗算をしたり……というようなものは、何度やっても成果が上がらない。特に苦手なのが漢字のパズルで、まさに壊滅的な点数だ。
「日と月」のようなものならまだ答えられる。問題は、「ウと子」や「ノとイと一と丁」のように、漢字の偏やつくりを全く無視したパズルが出てきたときだ。とっさに答えが思いつかずに考え込んでしまい、無駄に時間が掛かってしまう。
「行」の左側はぎょうがまえであって、「ノ」と「イ」のようには分けられない。「宇」の上部にあるのはウ冠であってカタカナのウではない。
そんなふうに思う自分はやはり頭が固いのだろうかと考えていると、後ろから二本の腕が伸びてきた。
「ひゃっ!?」
「へえー、これがあの入手困難な」
初めて見た、と言って、慎二は聡子の手からゲーム機とペンを取り上げた。ほとんど不意打ちで慎二に抱きこまれるような体勢になった聡子は、思わず体を硬くする。
「ねえ聡子ちゃん、俺もちょっとやってみていい?」
どうしてこの男は、こう無意味に色気を振りまくのだろう。耳元で囁くのはやめてほしいと思いながら、聡子は勢いよく首を縦に振った。
「どっ、どうぞ」
そのままソファの上でお尻を滑らせて床に下り、慎二の腕の中から抜け出そうとした聡子だったが、慎二はそんな彼女の考えなどお見通しとでも言うように、両方の腕で聡子の動きを阻んだ。
「やった、一回やってみたかったんだよね」
嬉しそうにそう言いながら、慎二は聡子を腕の中に閉じ込めたままゲームを始めた。
「おー、本当に字が書けるんだ」
俺が小学生の頃なんて、白黒のゲームボーイしかなかったのに、と妙に感動しながらメニュー画面を開いていく。
「さっき聡子ちゃんがやってたの、どれ?組み合わせて文字を作るやつ」
「ああ、それなら」
これ、と画面を指した聡子の指を追うように慎二がペンで画面に触れる。三秒のカウントの後でゲームが始まると、慎二の手元をぼんやりと見ていた聡子はあっと息を飲んだ。
「これはこうで……こっちがこうくる」
聡子が答えられなかった複雑なパズルを、慎二は鼻歌交じりにさも簡単そうに解いていったのだ。解答欄の周りをくるくると回る解体された文字の部分を一瞬見ただけでペンを動かし、一問も間違えることなく三十六秒という驚異の記録をたたき出した慎二の横顔を、聡子は感嘆の溜息をつきながら見上げた。
「すごい……どうしてそんなにすぐに答えを思いつくの?」
前に一回やったことあるんじゃない、と尋ねる聡子に、慎二は笑って首を振った。
「いいや、全く初めてだよ。けど、このゲーム、簡単だね」
一体どこが?こんなにややこしいパズルを簡単だと言い切ってしまうなんて、慎二はもしかしたら今まで考えていたよりもずっと賢いのかもしれない。
そう眉根を寄せて考える聡子をよそに、慎二は聡子の髪を指先ですくいながらけろりとした口調で言った。
「だって、見たまんまじゃないか。俺いつも、漢字はああいう風に覚えてるから」
ノとイと又と土で径、とか。ソと木と立で粒、とか。
「……は?」
あんたまさか、いつもそうやって漢字を書いているの?
聡子が恐る恐る尋ねると、慎二は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「そうだよ。だって、その方が楽じゃん……って、聡子ちゃん、どうしたの?」
「あんたってホント、バカなのか頭良いのかわからない」
もはや抱きしめられた腕の中から逃れようともがく気力も起きない。聡子は体の力を抜いて慎二にもたれかかると、紙一重とはよく言ったものだと疲れた口調で呟いた。
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